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KOTOMI先生

偉大なる曽祖母・ばあちゃん


ばあちゃんの屋号看板
ばあちゃんの屋号看板


先日、

臨時休業をいただき

曽祖母の告別式へ行ってきました。



曽祖母と聞くと、

どちらかと言えば身内でも遠目というか・・



おばあちゃんや叔父達に比べれば離れた存在のように

感じる方が多くいらっしゃることでしょう。




しかし

私たちにとっては

曽祖母(以後ばあちゃんと呼びます)は

中心でありました。






「私からみたばあちゃん」


大人しくおっとりなじいちゃん(まるで亀のよう。笑)とは反対に、

チャキチャキっこで

生粋の巨人ファン、ビールと花札が大好きで

糠漬けを作らせたら右に出る者はいない名人。




じいちゃんとばあちゃんは

自宅の一階で魚屋を営んでいました。(私が生まれる前に閉業。)


その後

ばあちゃんは自宅の一階で

毎週日曜だけ、三味線と民謡の教室をしていました。



家は商店街の中。


30年程前ですから、商店街は大変賑やかでした。



生徒さんは皆、先生をやっている人たちで

ばあちゃんは先生の先生、師範でした。

(RYTで例えると教育側ですね。すごいなあ)



夕方になるとお稽古が終わるのですが、

最後は「炭坑節」で終わるのでした。



ひ孫の私にとても甘かったばあちゃんですが、


お稽古中だけは

・戸を絶対開けてはいけない

・邪魔をするな

と、堅く言われていたと思います。



私は素直でいい子だったので(自分で言うか)

その約束を破ったことはありませんでした。




当時小学生の私に


食べ盛りなのだから、と

朝食に

トースト4枚と目玉焼き2こを用意してくれるような

サービス精神大満点な人でした。


(続く)

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