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  • KOTOMI先生

偉大なる曽祖母・ばあちゃん②


ばあちゃんの認定証
ばあちゃんの認定証

「彼女のヒストリー」


彼女は新潟出身でした。


さすが昔というか。兄弟は9人。

そしてその長女でした。



結婚を何歳でしたのかは不明ですが、


初めは多摩川の近くの長屋で

お姑さん・旦那(じいちゃん)・ばあちゃんで

暮らしていたそうです。





ちなみに


じいちゃんとばあちゃんは従兄弟同士らしい。!

(従兄弟って結婚できるんですね・・汗)





ばあちゃんは大変働き者でした。


内職をたくさんして貯金、土地を買い、自宅を建てました。



じいちゃんも頑張ったと思うんですが


親戚(ばあちゃんの一番下の兄弟)はこのような表現で言っていたので

ばあちゃんがかなり頑張ったんだと思います



(じいちゃん、亀のようなのんびり屋さんだから

家欲しいとか思わなさそうだよね・・)







話は戻り、


じいちゃんはその昔、魚屋に奉公へ行っていたので

二人は魚屋を始めました。


一人娘を産んでいます。(私の祖母)


その頃、

ばあちゃんのお母さん(私の曽曽祖母)が

体を悪くして子育てができなくなりました。

大家族なので

ばあちゃんと20歳も離れた妹でした。



そしてばあちゃんの娘と同い年!

(すごい。曽曽祖母もすごい)


ばあちゃんは自分の娘と妹を抱えて

魚屋で働きました。


子育てとお店を経営しながら

民謡・三味線の師範代にもなり、(!)

自宅で教室も開きます。




魚屋さんは当時

大変繁盛したそうで

ばあちゃんの兄弟やご近所さん皆総動員で

パートで働いたそうです。


安くて美味しくて活気があったんだって。




そして働きながらも

時々バスツアーを組み、


民謡・三味線の生徒さんたちと

全国遠征していたそうです。(!)






時が経ち、娘も結婚。



ばあちゃんは

私の父を含めた孫5人に恵まれます。







が、(ねえー)







ばあちゃんの娘は大変フリーダムな人でした。






なんと


幼い子供たちを残してどこかへ行ってしまうのでした。(やめてあげてー)







ばあちゃんとじいちゃんは40代後半にして(多分それくらいです)


再び子育てを行うことになります。


しかも大人数・・




(続く)

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